彼が父にどのように手紙を送ったか

サラディン伝英訳p.47
「彼が父にどのように手紙を送ったか」

本文

 スルタンは自分の父に[自分のところへ来てくれるよう]頼む手紙を送った。彼の幸運を完成させ、その喜びを飾るためである。この状況は預言者ヨセフ[アラビア語ではユースフ、これはサラディンの本名でもある]――彼と諸預言者の上に永安と祝福のあらんことを――とよく似ている。彼の父ナジュムッディーンがスルタンのところへ来たのは565年のジュマーダー・アル=アーヒラ月[1170年2月-3月]のことだった。サラディンは彼の一切を敬意と服従をもって受け入れ、権力の全てを譲渡しようとしたが、ナジュムッディーンはそれを拒否した。彼がいうことには「息子よ、神はこの仕事にお前のみを選ばれた。お前がそれにふさわしいし、示された受取人が変更されるというのは望ましいことではないのだから」。しかしながら、サラディンは彼にその全ての財産について処分権を与えた。彼は与えることに寛大で、取り戻そうとはしなかった。スルタンは、アル=アーディド・アブー・ムハンマド・アブドゥッラーが死去してこのエジプトの王朝が終わりを迎えるまでこの国の宰相として振る舞った。
 一方、ヌールッディーンはラッカを566年ムハッラム月[1171年9月-10月]に手に入れ、その月のあいだにニシビスへ進軍し、ラビー・アル=アーヒラ月[1170年12月-1171年1月]にはシンジャールを手に入れた。彼は次に攻撃の意図なくモスルへ向かった。彼とその軍隊はバラドの方へ進み、モスルに面した丘に野営した。ヌールッディーンは彼の甥でモスル領主のサイフッディーン・ガーズィー(二世)に連絡を取り、これが敵意に基づくものではないことを伝えた。彼らは話し合い、ジュマーダー・アル=ウーラー月13日[1171年2月22日]、ヌールッディーンはモスルへ入城した。ヌールッディーンはモスルの君主位を保証し、また自身の娘(とサイフッディーン)の結婚を取り持った。彼はシンジャールを[サイフッディーンの]兄弟イマードゥッディーンに与え、モスルを立ってシリアへ戻った。アレッポに帰ったのはこの年のシャアバーン月[4月-5月]のことであった。

  • 最終更新:2016-02-20 12:23:53

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