シャマーニーヤ(仏教徒)の教義

『アル=フィフリスト』英訳pp.824-825
Doctorines of the Shamaniyah
「シャマーニーヤ(仏教徒)の教義」

本文

 私はホラーサーンの人々の間で暮らしていたという人物の手稿を読んだことがある。彼は古代のホラーサーンに関すること、またそこで最近何が起こったかを記していた。これらは原本に近いものと思われる[「原本」の語はおそらくこの手稿が引用したより古い情報源があったということを示しているのだろう]。
 彼曰く、「シャマーニーヤ(仏教徒)の預言者は仏陀といい、イスラーム以前の古代マーワラーアンナフル[トランスオクシアナ]の大部分の人々はこの教えに従っていた。シャマーニーヤとは沙門shamaniに関係する語であり、沙門とは宗教において地上で最も高位の人を指す。なぜかと言えば、仏陀が彼らに伝え教えた神の言葉による。すなわち、信仰者が『いいえla』と言うことは何についてであれ不正であり禁止されているのである[※1]。彼らは行動においてであれ言葉の上であれこれに従っており、彼らの間で『いいえ』と言うことは悪魔の行いであり彼らの悪魔に関する教義なのである」

※1
 laはnoを意味する。もしこの言葉が正しければ、「いいえ」と言うことの禁止はこの宗派において、布施を行わないなどということは前提となっていない教義に由来する。その相手は、仏僧であり、またおそらくは客人や見知らぬ人に対してでもあっただろう。
 しかしながら、さらにもっともらしいのは、この単語がanaであった場合である。これは一人称の「私I」となる。仏教徒は人を輪廻のうちに縛る十の煩悩、「結」を断つことを求められる。まず断つべき煩悩は「自己」の存在を信じること(=有身見)である。つまり、自我の存在を認識し、「私」という人称を用いることが禁じられる、ということになる。

  • 最終更新:2017-12-06 15:05:02

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